夏休み2017その2 福島

僕のおじいちゃんは、福島で生まれ育った人で

いまは逗子の海の近くで穏やかに暮らしているけれど

 

小さいころは、山で遊んでいて仲間と はぐれて山狩りにあったり

青年になったころには柔道が強くて地域の道場で何十人抜きしたり、

そして戦争の間は士官候補生として江田島に行って勉強し

 

戦後は大学の工学部と機械メーカーを行き来した人で

波乱万丈な人生を駆け抜けてきた人だ。

いまも まだ教科書を書いたり歩みつづけている。

 

そんな おじいちゃんの田舎の福島に行ったのは

僕が小学生のときだった。

広ーい畑と田んぼに囲まれていて、

土間があり、囲炉裏があり、囲炉裏には魚の木彫りの鉤に鉄鍋が掛かっていた。

そんな福島に、今年の初夏、1泊2日で家族で行ってきた。

 

福島の家は 聞いていたとおり 20年前のあの家ではなかった。

そのかわり、親戚の手で こだわりの木を多く使った暖炉のある 

素敵な家になっていた。

 

家に使うための大きな木を切るときお祓いをしたという話、

梁に使った松の木が冬の夜、乾いて割れる音がする話

そこには おじいちゃんの お兄さんの奥さんと、息子さんたちがまだ暮らしていて

みんな、おじいちゃんのように穏やかな良い人たちだった。

 

おじいちゃんが少年だった 80年前の風景に思いを巡らせながら過ごした。

想像力が追い付かない。

けれど 家は変わっても、道幅が狭い感じとか、家並みはきっと大きくは変わっていない

近くの神社のあのはあの境内で遊んだ少年を想像した。

 

近所の散歩に出たら狸がいた。

まばゆいくらいの田んぼの風景だった。

 

福島の人にとって会津、猪苗代湖は誇り。

穏やかで 謙虚な おじいちゃんの名前には

"洋"の字が入っていて、逗子に住んでいるから不思議に思わなかったけれど 

考えてみたら、それは大きな猪苗代湖のことだ。

 

僕にとって おじいちゃんは 大きな海。

今回の旅では、おじいちゃんが 

僕の おじいちゃん であるだけでなく、

皆のおじいちゃん であることを強く感じた。

みんなのために、まだまだ生きて欲しい。