about Photo and Web

   

初代 GR Digital (高級路線のコンパクトデジタルカメラ)が発売されたのが 2005 年。

2000年代後半、素人にも手が出る価格で 良いデジタルカメラが どんどん 発売されるようになった。

携帯電話のカメラ機能も発達して雑誌に "日本人 1 億総カメラマン時代" と見出しが出た。

さらには SNS が急に発達したタイミングが重なって、web 上に写真が溢れかえった。

 

ネットを介して写真を通した つながり がどんどん広がって

それは 老若男女 を損得なく つなげる すごく良いツールだと実感するようになっていた。

写真展はグループ展ともなると 友人が友人を呼んで、巨大なオフ会のようになった。

そうして 写真を通した人と人のつながりが 急速に拡大した時期があった。

 

僕にとってはそれが fotologue だった。あと フリッカー とか カメラピープル とか ゾルグ とかいろいろあった。

SNS には流行りすたりがあって、友達が新しいのに手を出すと新しいのに移ったり、そんなことがおきたけど

国内中心の SNS から海外の SNS に主体が移ってから、国内の流行が移りつつあっても海外の母体が動かないと

アカウントが遺跡化して停滞感がでてきた。

 

人々はつながり合いたいのに、距離感が近付きすぎると困ってしまう。現代人のメンドクサイ精神状態そのもののような

巨大な集団が出来上がってしまって、それに写真もすごく影響を受けたと思う。 

 

やがて個人情報保護の機運ともあいまって SNS が発達し過ぎたら、プライバシーをすごく気にする社会になってきてしまった。

結果として町中でスナップ写真が撮りずらくなってしまったし、それをネットに公開しずらくなった。

それと自分の世代が子供を持つようになるタイミングも重なって、被写体が変わり、また公開しなくなった。

SNS の流れと一線を隔して存在していたはずの個人ブログとか個人の写真サイトですら どんどん なくなっていく。。

 

そしていま

 

また プリントされた写真に価値が出てきたのかもしれない と思う。

足を運んで写真を見に行き、人と人が顔を合わせることに意味が出てきたのかもしれない。

 

これは、大きく意義のあることだと思う。だってデジタルの写真は脆い。

どんなに細心の注意を払って、色味を調節した画像も、違うモニターで見れば

違う色味に見えてしまう。。 なんだか心元ないし切ない。

伝えたい色が伝わらない。

 

ついでに愚痴を並べると、年を追うごとに、パソコンの画面の画素数が上がり、ハードディスクの容量も大きくなり

と同時に、デジタルカメラの一枚の写真が大きくなっていくのが気に入らない。

その いたちごっこ のせいで少し前の写真が画面上で どんどん 小さくなっていく。

 

カメラにしても、クラシックカメラ風の見た目のデジタルカメラが出てきて、

撮った写真をフィルム風に画像処理して吐き出すという変な逆転現象が起きている。

 

写真って何だっけ?、、 

僕は 写真といえば 写真屋に現像に出して、返ってきた L 版プリントを 実体ある写真と認識していた

ギリギリ最後の世代だと思う。 

 

そんな折、ひょんなことで ダカフェ (有名写真ブログ) の森さんにお会いすることができた。

横浜の倉庫跡で開催されていた家具の展示会に展開されていたダカフェの写真と雰囲気、そして森さんのお人柄と落ち着いた声、

犬たちの写真をまとめた冊子をいただいて、うれしかった。

 

やっぱり、人と人が顔を合わせることに意義がある。

写真の意味合い、存在の仕方、見かた見られ方はどんどん変わる。

さあ、自分は何をしようか。。